良いもの判断基準。売る側と買う側の意識のマッチングの大切さ
こんにちは。夫・宮本です。
最近は会社を立ち上げ、いくつか顧問エンジニアとして働きつつ、自社サービスを開発している今日このごろです。
さて、最近話題になってたハヤカワ五味さんの記事を読みましたか?
時給1000円が安くて、どうして靴の1万円は高いのだろうか?https://note.mu/hayakawagomi/n/n92d89dc43fb0
僕自身が、成果物の妥当な金額について、日々悩んでいるので、考えていることを「素晴らしい仕事を讃える価格設定」はどうしたらできるのか考えてみました。
そのお客様の要望に応えて値段を下げるべきなのだろうか、高くない妥当な金額とはいくらなんだろうか。
この問題は、ウェブエンジニアというある種ひとりの生産者としても日々悩んでいる問題です。
僕のつくった成果物の妥当な金額というものは、いくらなのかということをずっと模索しています。
模索して答えがまだないというのもあって、僕は見積もり作業が一番嫌いです。
成果物をつくることにおいては、一切必要ない時間ですし。
もちろんそれがビジネスといえば、ビジネスなんですが、クリエーターとしては、単に好きじゃない時間ということです。
良い値段で払うことは、一見簡単そうで、意外と難しい
記事中のこの文章は僕はすごく同意しました。
素晴らしい仕事を讃える価格設定
僕も良いものには、良い値段で、きちんと支払いたいと思っています。
しかし、僕は本当に、「良いものには、良い値段に支払えているか?」というと 100% の自信はありません。
「思っている」だけで、「やってしまっている」が可能性があることです。
今回ハヤカワ五味さんの記事の問題はこうありました。
ただその一方で、安い価格のものに価格以上のサービスを求める日本の空気感を見るに、それとなく矛盾を感じます。自分自身が値段に見合わないハイクオリティな働き方を求められている現状を嘆きつつも、自然とどこかで、値段に見合わない働きを他の誰かに求めてしまっていないでしょうか。
はたして、「安い価格のものに価格以上のサービスを求める」ことお客さんが全員が思っているのしょうか?なんとなく、僕のように思っているけれど、気づかぬうちにその空気感をつくってしまってる人も多い
だから、良いものには、良い値段で払うことは、一見簡単そうで、意外と難しいなと考えて、なぜ難しいのかを考えてみます。
良いもの判断基準。売る側と買う側の意識のマッチングの大切さ
僕は日々良いウェブサイトについて考えていますが、判断基準を語る上で購入の性質を分けないといけないと思っています。
- 買うと、成果がでるもの
- 買うと、幸せになれるもの
- 買えて、当たり前のもの
投資でお金の使っているのか、それとも消費なのかで、生活コストなのかで、買う側の値付け基準は変わります。
ウェブサイトの場合は、ウェブサイトをつくったことで何かしらの成果を得ることを目的とした1であるケースが多いです。
靴の場合は、2のケースが多いです。生活必需品が3でしょうか。
僕は、この意識が、売る側と買う側が一緒になったとき、幸せになれるんじゃかと仮説を立てて考えています。
1.投資と2.消費のミスマッチング
例えば、ウェブサイトは1のケース多いと先程言いましたが、実は2のケースも意外にあります。
この場合は、成果がでるウェブサイトをつくるよりも、買う側が満足するかっこいいと思うのもをつくるの正解なのです。
にもかかわらず、売る側が1で、買う側が2の意識でサイトをつくると、
売る側:「たくさん動きつけると、ユーザービリティが下がるから、コンバージョンさがる」
買う側:「たくさん動きをつけて、カッコいいサイトにしたい」
という意識の差が生まれ、納品後に
売る側:「全然シェアや運用してくれてないから、サイト活かせてないなぁ。。」
買う側:「もっとカッコいいのにできたら、たくさんシェアするのになぁ。。」
と、あまりお互い幸せでない状況が生まれます。
この例は、買う側が意識が1と2が混ざっている場合も多いので、買う人の満足度を高めることで結果的に投資のリターンを出すといった戦略が考えれるように、ある程度売る側が買う側の意識をきちんとヒヤリングすることで解決できます。
1.投資は費用対効果が価値だし、2は買った人の感謝が価値で、判断基準になります。
生きる費用のものは、当たり前に売っている
難しいのが2と3の意識の違いです。
あなたは、買ったものどれくらい頻度で感謝して生きていますか?
買ったもの全てに対しては、感謝するって難しいのではないでしょうか?
買ったことに対して感謝できる購入は2、当たり前だとおもってしまっていたら 3 です。
水道からでる水は、いつも蛇口をひねればでるから、当たり前に存在してる気がする。
コンビニあるおにぎりは、いつもコンビニにあるから、当たり前に存在してる気がする。
ハヤカワ五味さんのお店にある靴は、工場で作られてるだろうし、当たり前に存在してる気がする。
ウェブサイトは、ネットつながれば無料で見えるだろうし、当たり前に存在してる気がする。
そのような感じで目の前にその瞬間当たり前に存在してしまうと、知識の差によって、それが当たり前に存在してると勘違いしがちです。
だから、ハヤカワ五味さんのお店にある靴も買う側の知識や理解によって、
売る側「苦労してつくったのに」
買う側「売って当たり前なのに」
と、やはり意識の差がでて、お互い幸せでない状況が生まれます。
色々考えたのですが、今回は第一歩として、弊社の顧客様達には「素晴らしい仕事を知ったうえで、それに対し妥当な金額を払うということ」を体験してもらえたらなと思っています。
このミスマッチングを、ハヤカワ五味さんは、「素敵な靴をありがとう」と感謝するひとに売ることを選んでいるから、お互い幸せになれるんだと思います。
だから、記事で知識や理解を伝えることこそが、売る側と買う側の意識のマッチングなのだと思います。
ただ冷静に考えると、実は世の中に存在するほとんどは 2 なのです。
ですが、当たり前に存在してると勘違いをなくすのは難しいとも思います。
当たり前でないと気づくためには、知識や理解がいるからです。ハヤカワ五味さんの自身ですら、
え?!???
という感想が何度もでているので、買う側がそこまで気づくのはやはり難しそうです。
そうなると、効率化を進めてた先のコンビニのおにぎりが 100 円で変える状況は、感謝がなくたって市場価格として成り立っていくし、
売る側「売れれば問題ない」
買う側「売って当たり前」
それはそれで、売る側と買う側の意識のマッチングされているのだと思います。
2は買う人の感謝が価値が、3は市場価格自体が、判断基準になります。
売る側も買う側もどうしたら幸せになれるか?
良いものには、良い値段でやりとりされる状況をつくるためには、2の感謝ベースの価格設定が増えると良いなと思っています。
そのために買う人が感謝したいほどのプロダクトをつくっていくのが売る側は間違いなく大事だし、加えてプロセスや考えをもっと発信していくこと大事だと思います。
また買う側も、自分が買うものをもっとして愛着をもてるように、買うものをもっと知ろうとすることがが大事です。
2は買う人の感謝が価値とすると極論は、自分の成果物に値段がなく、買う人が値付けする世界になる気がします。ですが先程の述べたように、3が存在していることを認識すると、感謝が0 == 価値が0で、食えなくなってしまいます。
チップの可能性
ここで思いつくのは、チップです。
基本の価値は市場価格で決まりつつ、感謝の分を上乗せできるのはとても利にかなっている気がしています。
というのも、たとえ全く同じ靴だって、僕にとってはどうってことない靴でも、あたなにとってずっと探し求めていた理想の靴だったら、人によって値段の違いが生まれるのが自然だし、すべてのものにおいて個人単位で評価が変わってくるのは当然じゃないでしょうか。
逆に言えば、チップがめんどくさいと感じる日本人は、評価する能力がないのかもしれません。
ただ、note のサポート機能はこれに近いし、polca やクラウドファンディングが増えてきているのをみると、日本人こそチップと相性が実はよい可能性も秘めてるかもとも思っています。
僕は今こんな気持ちが乗ったお金にすごく興味があります。
僕は最終的には、自分の成果物に値段がなく、買う人が値付けする世界が良いものには、良い値段でやりとりされる究極の状況なのかなと思うので、この世界を目指して冒頭の自社プロダクトをつくっています。
そうすれば、見積もりもしなくていいですしね。幸せだな